なのはなテレビ

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弁天山の廃屋

稲川さんが語るお話は、又聞きが多いのだけど、微に入り細に入りまるでご自分が体験したかのように語られるので、聞いているこちらも恐怖度マックス。
名エンターテナーですよね。
11月6日に見た恐怖DVD、あれはシリーズものだったのですね。稲川さんと女の子が心霊スポットを訪れて、検証するというビデオをYouTubeでいくつも発見しました。このまえ見た徳島のホテルの廃墟もけっこう怖かったけど、YouTubeで見つけたこの廃屋を探検するビデオは背筋がぞくぞくするくらい怖かった。
こんなところに家があるの?と思うくらい人目からさえぎられた場所にたっている廃屋。建て増しを繰り返したあげくの複雑な構造が、なにやら謎を秘めています。そして家の裏にある石段を登った上にある鳥居。まるで参道を塞ぐようにたっている家。これだけで尋常じゃない雰囲気がぷんぷんします。





最後は衝撃。こんなのってあるの?
ナレーションでずっと「生き霊(いきりょう)」といってたけど、生き霊っていうのは生きている人がとばす霊だから、ちょっとちがうと思う。このビデオの場合は、単に「霊」または「怨霊」と呼ぶべきじゃないかしら。
でも、もしこの場所に霊と呼ぶ存在がいたとしたら、その人は何十年ものあいだ、あの世に行くこともできず、こんな暗い廃屋に縛られ続けているわけでしょう? わたしたちは単純に「怖い」と思うけど、もしかするとそれは救いを求めている霊の精一杯のメッセージなのではないかしら。霊たちは生前はわたしたちと同じ人間です。死んでみてはじめて戸惑ってしまい、次のステップに移るきっかけを逃してしまったのじゃないでしょうか。この世に執着もあったかもしれません。それで死んでも死にきれず、この世とあの世の境をさまよい続けているのではないでしょうか。ふと、そんなふうに思うの。というのは、わたしたちの親族もみんな亡くなっているでしょう? おじいちゃんやおばあちゃん、おじさんおばさん、そして父母。その人たちが幽霊になって出てきますか? 毎晩金縛りであなたを苦しめますか? そんなことないでしょう? それに、もし親族の霊なら、仮に現われても怖さは感じません。
つまり、恐ろしさを感じる霊というのは、まっとうな死をむかえられず、人を呪って、あの世に行くこともできない霊なのです。目に見えないからといって、いたずらに怖がることはありません。ただ、こころを許してはいけません。