なのはなテレビ

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敬天愛人

先日、鹿児島へ行ってまいりました。
予定した場所はほぼ回れましたが、やはり時間切れで見送らざるをえない場所もありましたし、駆け足すぎてじっくり見られなかった場所もありました。一日やそこらでわかるほど、鹿児島は浅くないのよ…と文句をいいながら、追加取材の許可をもらう算段を考えています。

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翌朝まずは、鹿児島の歴史が一目でわかる「維新ふるさと館」を訪れました。平日の午前中でしたが、すでに5,60人ほどのお客さんが見学なさっていました。客層は老若男女さまざまです。見所はたくさんありますが、イチオシは維新体感ホールでのドラマ展示がおすすめです。映像とロボットを使った演出の「維新への道」は、何も知らないわたくしでも当時を興味深く知ることができ、しかも西郷さんのロボットが精妙で表情豊か、演技上手で、引き込まれてしまいました。このドラマを見ただけで、西郷さんLOVEなわたくしがおりました。
そのあと「薩摩スチューデント、西へ」という映画を見て、明治維新前の薩摩のすごさを改めて知りました。幕府が禁じていた海外渡航。捕まれば死罪です。それなのに、薩摩藩は数十人の若者をロンドンに送りました。費用は一人頭、いまの金額にしたら3000万円くらいかかったそうです。それだけのお金をかけて、ロンドンへ留学生を送った薩摩藩。このドラマを見たわたくしは、泣いてしまいました。薩摩藩ってすごい。当時の日本人ってすごい。日本が植民地にならずに済んだのは、こういう若者たちがいたおかげだったのだと。ほんとうに、感謝します。


維新ふるさと館のそばには、西郷隆盛さんの誕生地と、大久保利通さんの生い立ちの地があります。このふたりの家はとても近い。だから、子どものころから一緒に遊んでいた仲だったというのは納得です。大山巌東郷平八郎なども近所です。このあと旅の最後に南州顕彰邢・南州公園へ行ってみてわかったのですが、西郷さんが生まれ育った下加治屋町から出た偉人たちはそうそうたるメンバーだったのです。

それから、鹿児島県歴史資料センター「黎明邢」に行きました。

現在、鶴丸城の石垣は修復工事中です。
黎明邢、この博物館もすごい。正直、時間が足りなくて、駆け足見学みたいになってしまいました。それでも3階まで、見てまいりました。鹿児島の歴史と民俗を展示しているので、民俗学に興味があるわたくしには一日中いても飽きないところです。一日じゃ足りません。一施設、一日くらいの行程じゃないと、納得いく取材なんかできません。

↑平成30年は明治維新から150年目ということで、鹿児島市はおおいに盛り上がりそうな気配です。こちらのキャラクターは左から小松帯刀西郷隆盛島津斉彬篤姫大久保利通です。鹿児島市交通局の定期観光バス。

時間がないので、急いで城山へ行きました。ツアー客を乗せた観光バスが4,5台やって来ました。ツアー客に混じって、バスガイドさんの案内をいっしょに聞きました。ツアー客は15分もすればまたバスに乗って行ってしまうので、気になりません。展望台のさらに奥に、ツアー客が行かないスポットを発見。地元のひとだけがお詣りしているところです。城山のほんとうの姿がそこにありました。

↑城山展望台の奥にある地元のひとだけの信仰の場。

↑鉄棒のような謎の構築物。柱の根元に、お酒の箱がまるでイヌのようにロープでつながれています。いったいなんでしょうか。

城山から下ったところにある西郷さんの洞窟を見てきました。

ここは、洞窟ではなく、岩穴ですね。こんなところに隠れたら、万が一敵に見つかったとき、逃げる場所もありません。そんな場所に隠れざるをえなかった西郷さんは、もうこの時点で命運尽き果てたことを悟ったはず。
そこから、道なりに山を下り、交差点を越えて数百メートル行ったところに、西郷さんが最後を迎えた場所がありました。あの洞窟からここまで来たときに、官軍の銃弾に撃たれて、ここで亡くなったそうです。

西郷さんって、波瀾万丈の人生を送ったかただったのですね。知れば知るほど、時代が求めた人だったなと思います。だって、この人がもしいなかったら、どうなっていたかわかりませんよね。江戸が焼け野原になっていたかもしれないし…

最後に、西郷南州顕彰邢へ行きました。
もう夕方になっていたので、こちらも急ぎ足でした。
ジオラマで西郷さんの一生がとてもよくわかりました。
そのあと、隣の南州墓地を見てまいりました。あいにく、雨が降ってきたので、ちゃんと見て回ることができませんでしたが、お墓の多さにおどろきました。墓碑銘を見ると「明治10年戦死」と刻まれています。西南戦争で亡くなった方々のお墓です。

↑黒ネコが一匹、お墓を見つめていました。わたくしを見て、一声「ニャア」と鳴きました。