なのはなテレビ

ここは、しづはのブログです。

備忘録がわり

当日になってどこに行けばいいのかわからなくならないように、あらかじめ予定を立てておきます。それを、ここに書き留めておきます。ここに書いておけば、いつでもどこでも参照できるので。
日向を訪れるにあたってまず、梅原猛先生の著書「天皇家の“ふるさと”日向をゆく」を熟読しました。わたしの拙い考察など足元にも及ばない、先生のわかりやすい日向王朝のお話に、たくさんのことが納得できました。日向王朝4代にわたる、発展の歴史が、神話ではなく生身のにんげんのドラマとして親近感を伴って受け入れられました。

天皇家の“ふるさと

天皇家の“ふるさと"日向をゆく (新潮文庫)

今回の旅の目的は、第一に鵜戸神宮さんにお参りしてくることです。
飫肥の城下町を散策したかったのですが、ちょっち時間的に厳しいかも。次の機会にします。
次は青島神社さんに行きます。
地図を眺めていたら青島の北西に木花という地名を発見。宮崎大学の東がわです。これはもしかしたら、コノハナノサクヤヒメとなにか関係があるのでしょうか。彼女はニニギノミコトの奥さんです。でも、このふたりが出会ったのは遙か西の彼方の薩摩半島野間あたりだといわれているので、正反対のこの場所になぜ木花という地名があるのかふしぎです。調査は次回以降に。
そのまま北上して西都原遺跡に行きたいところですが、今回は霧島へ。
神武天皇が生まれ育った場所といわれている、宮崎県高原に行くつもりです。神武天皇、幼名はサノノミコト。高原町狭野には皇子原公園があるのですね。字がそのものずばり皇子。つくづくと、土地のなまえはずっと残るんだなと感心します。このあたりは、サノノミコトのご両親、つまりウガヤフキアエズノミコトとタマヨリヒメが宮殿を設けていたところらしいです。梅原先生の説によりますと、ウガヤフキアエズノミコトの母、トヨタマヒメや、妻タマヨリヒメの父親は、現在の国分市に拠点を持っていたハヤトの大王だったそうです。
そういえば、国分には上野原縄文の森という、いまから9500年もむかしに栄えていた縄文時代の集落跡があります。九州南部は縄文人たちの国だったわけです。
そして、豊かな鹿児島湾を目の前にして、漁労採集に長けていただろうハヤトの姉妹ふたりと結ばれた山幸彦とその子ウガヤフキアエズノミコトは、ハヤトの力をバックボーンにして勢力を拡大、ハヤトの地を見下ろせる霧島東の土地に宮を構え、そこで生まれ育ったのがサノノミコト、のちの神武天皇なのだそうです。
おもしろいです。

行きたい場所はたくさんありますが、一度にめぐるのはむりです。
強行軍にならないように気をつけて、だいすきな温泉を楽しんできます。