なのはなテレビ

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被曝治療83日間の記録

この番組は日本の原子力開発史上、はじめての犠牲者を出した1999年9月茨城県東海村臨界事故で被曝、そして懸命の治療の甲斐なく亡くなった大内さんの壮絶な記録です。
わたしがはじめてこの番組をテレビで見たのは2001年5月でした。ちょうど10年前になります。放射線被曝がこれほどまでに悲惨なものなのかと、おおきな衝撃を受けました。
↓2001年当時、わたしが掲示板に書きこんだものです。

 1999年9月、茨城県東海村で起きたJCOの臨界事故。
 その犠牲者となった、ウラン溶液をバケツから注ぐ作業をしていた大内さん(当時35才)の被曝直後、病院に搬送されるところからお亡くなりになるまでの治療状況をドキュメントにしたテレビ番組をNHKで放送していたのを見ました。
 正直言って、悲惨なものでした。
 わたしも、当時、放射線被曝がどういうものか、いちおう調べたつもりでした。でもそれは、文献をあたっただけで、具体的にどのようなものなのかはイメージできませんでした。しかし、この番組を見て、放射線被曝がどれだけ悲惨なものかわかり、落ち込んでいます。
 被曝直後は、本人もお元気だし、外見も正常な人と変わりません。担当した看護婦さんの証言にもありましたが、このまま快復するのではないかと思えるくらいだったそうです。けれど、被曝者の体内では、そのときすでに壊滅的なダメージを受けていたのでした。体中の細胞の染色体がめちゃめちゃに壊されていたのです。これはどういうことかというと、二度と細胞が再生しないということです。いまある細胞が死んだらそれきりなのです。番組中では「大内さんの体は設計図を失ってしまった」と表現していましたが、まさにそのとおり。その時点で大内さんの体は修復できなくなり、あとは壊れていく一方だったのです。その、壊れていくということが、あんなにすさまじいものだったとは、想像もつきませんでした。まず、皮膚が壊れていきます。皮膚が表面からぼろぼろとはがれ落ち、真皮より下の組織がむきだしになります。皮膚は体を守るバリア。それが失われることによるダメージは相当なものだと思います。全身激痛でしょう。それと同じことが内臓でも起きています。はがれ落ちていく内臓の表層部。あとはもう、にじみ出る浸出液、血液。1日に3リットル以上も出血してしまうのです。輸血しなければ確実に死んでしまう状況です。
 でも、大内さんのご家族は、一縷の望みをつないで、治療を希望しました。治療を担当した医師や看護婦のだれもが(医療知識のある人なら当然)治る見込みはとうてい持てない患者さんです。染色体が破壊されたことがどういう意味を持つのか、彼らにはじゅうぶんすぎるほどわかっていたはずですから。それでも、家族の望みを受けて、また、自ら医療の最先端を行く者としての使命感もいくらかあっただろうし、死なせてはいけないという、医師として当然持つであろう感情もあって、けんめいの延命策が採られることになりました。わたしは、治る見込みのない、どうしたって治せるすべのない患者さんに対して、むりやりの延命治療というのは、患者さんをいたずらに苦しめるだけではないかと思う気持ちのほうが強いのですが、家族としてはすこしでも長く生きていてほしいと願うのは当然だし、お医者さんとしても、死にそうな人を前にしてなにもしないということはできないだろうと思うので、こればかりは、治療を受けている当人がどう思っているのか、知りたいのです。インタビューを受けていた看護婦さんが、同じようなことをいっていました。「これでよかったのかどうか、怒っているにしても、感謝されてるにしても、どっちだったのか大内さんの口から聞きたかったです」と。
 再生しなくなってしまった体。いつもと変わらない日常の中で、突然起こった臨界事故。理不尽さが残るだけの事故でした。そして、改めて、ほんとうに、改めて、放射線の恐ろしさをまざまざと見せつけられた番組でした。

いま、この番組をNHKオンデマンドで、200円くらいの視聴料を払えば、どなたでも見ることができます。10年前にとてもショックだったので、正直いうとあまり見たくありませんでした。だけど、やっぱりいま見直さなければいけないとおもい、思いきって瑠璃といっしょに見ました。放射線がどんなふうにひとを傷つけ、命を奪うものなのか、ほとんどのひとは知らないとおもいます。被曝するとどういうことがおきるのか。そしてひとはどんなふうにして死んでいくのか。いまこそ、NHKは再放送するべきです。

朽ちていった命:被曝治療83日間の記録 (新潮文庫)

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