なのはなテレビ

ここは、しづはのブログです。

桜島へ行ってきました

何度か鹿児島へ取材旅行しているうちに、気になるポイントが増えてきました。
今回は、まったくの個人旅行。いままで気になっていたけど、スケジュールの都合で立ち寄れなかった場所などを重点的に巡ってみました。
娘は母に預けておきました。ちょっち前なら学校を休ませて、いっしょに連れて行ったのだけど、いまでは、あの子にはあの子なりの世界が形成されているので無理強いはできません。いちおう、行く?と尋ねてはみたのですが、案の定「行かない」というそっけない返答(T_T)
拒否られて落ち込むわたし…
桜島に行くのよ」
「ママが行きたいだけじゃん」
「そんなこといわないで、瑠璃〜 ママといっしょに旅行しようよ〜(;.;)」
「やだ」
「飛行機乗って、行こうよ〜」
「べつに乗りたくないもの。飛行機なんかぜっんぜんおもしろくないし」
「えー」
しかたないわ。ローディーとして同居人を引き連れて、鹿児島へ!
鹿児島に着いたとたん、あっつ!!
南国だわ〜 炎天下の温室に放り込まれたような感じです。千葉にいたときは、この格好じゃ寒いかしらとおもったりして、上着持っていったほうがいいかな〜なんて迷っていたのがウソのように、鹿児島は真夏でした。
予約していたときはまさか台風が来るとはおもいませんでした。結果的には、なんとか無事に行って帰ってこられましたが、沖縄のほうがたいへんなことになっていた時期に重なっていたので、わたしたちもどきどきでした。現に、わたしたちが帰る前日のジェットスター成田行きの最終便が、桜島の降灰のために欠航になってしまったのですから。翌日も飛ばなかったらどうしようって、びくびくしてました。鹿児島空港って、降灰で欠航便が出ることがあるんですね。ま、そのときはそのときで、なるようにしかならないなーと。もう一泊してもいいよねって話し合っていました。
とりあえず一日目は、前回の取材旅行で行かれなかった鵜戸神社さんへ。吾平山陵に眠っていらっしゃるのが神武天皇のご両親。こちらは麓からお参りするための遙拝所的な役割があったとおもわれる神社さんです。

↑明神鳥居


次に訪れたのが荒平天神さん。ご祭神は菅原道真さま。ちいさな入り江にある小高い岩山の上に建っている神社ですが、合格祈願をされる人々が篤い信仰を寄せていらっしゃることがわかりました。


↑明神鳥居


そして、ふしぎな看板を見つけて、行ってみたのが薩摩明治村。「財宝」と大書きされた工場が建っていました。立ち寄り温泉やレストランもありました。ミネラルウォーターを作っている工場らしい?のですが。展望台からの景色はすばらしいものでした。


さあ、いよいよ、桜島へ上陸です! 大正3(1914)年の大噴火によって桜島は流れ出た溶岩によって大隅半島と陸続きになってしまったそうです。そんなにむかしから、桜島は島じゃなくなっていたんだ、と改めて知りました。たしかに、大隅半島から国道を走ってきて、そのまま桜島へ行くことができました。

見学した順番

  • 有村溶岩展望所



↑地面の黒いものは桜島の灰です。




↑おおきなリゾートホテルが3館営業していましたが、平成24年にひとつが閉館。現在はふたつのホテルががんばって営業しています。昭和時代のホテルなので設備の古さは否めませんが、温泉の質はいいし、レトロな雰囲気もよかったので、次もまた泊まりたい。価格もリーズナブルです。広い温泉をひとりじめ! 10回くらい入りました。夕日の露天風呂、月明かりの露天風呂、早朝の露天風呂… 満喫してきました。




↑花のいのちは短くて、苦しきことのみ多かりき なんですって。

  • 湯之平展望所


  • 溶岩なぎさ公園足湯



イカちゃん(^-^*)

↑水族館の外にある水路にもイルカがいます。水槽にいたイルカはわたしの前をぐるぐる回って遊んでいました。


↑現在活動中の昭和火口からの噴煙が、静けさのなか、迫力満点でした。


↑この奥50メートルくらいに腹五社神社さん本殿があります。もともとあった本殿は灰の下に埋まっていますから、後世建て直されたものですが、正直、あんまりいい気が感じられませんでした。背筋がぞっとして、写真も撮らずに早々に退散しました。わたしの波長とは合わなかったみたいです。

↑やっぱり明神鳥居

↑腹五社神社…あまり耳にしない神社さんですが、どういう意味なのかしらと考えてみました。「はらごしゃ」はもしかしたら「からごしゃ」あるいは「かやごしゃ」だったのかも? 漢字で書くと「加羅」、もしくは「加耶」。そういえば、鹿屋(かのや)という地名も加耶(かや)に似ていますね。
五社神社さんのご祭神は
瓊々杵尊ニニギノミコト
木花開耶姫命コノハナサクヤヒメノミコト)
彦火火出見尊ホホデミノミコト)
鵜草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)
玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)
です。
神武天皇に通じるご先祖が祀られています。祖母のトヨタマビメがいらっしゃらないのが気になりますが。
ここに祀られている方々は、加羅もしくは加耶から日本に渡ってきたのでしょうか。天孫降臨ですね。そして神武天皇は東へ向かいました。


桜島に行くまで、悪名高い桜島の降灰がどんなものなのか、ぜんぜん知りませんでした。
灰ということばから連想するに、お線香の燃えかすのような、ふっと吹けば飛んでなくなってしまうようなものだとおもっていました。
実際に見て、認識を改めました。あれは、砂です。堅い、堅い、砂粒です。そんなものが一晩でざらざら降ってきて、そこいらじゅうを埋め尽くすのですから。
風向きにもよるのだとおもいますが、桜島の北側を車で走ってみたら、一面真っ白で、風景がちがって見えました。草木の表面にも降灰していて、真っ白なんです。道路上も言うに及ばず。もうもうと砂埃をたてながら、自動車が走っていきます。幹線道路は定期的に除灰車?がクリーニングしていますが、一歩奥に入った生活道路などはそのままです。雪ならそのうち溶けるけど、灰はいつまでも残ったままです。これはほんとうにたいへんなことなんだと、実際にこの目で見てようやく理解できました。
地元のご婦人がご自宅の門の前をちいさな箒で黙々と掃いていらっしゃいました。
それでも桜島を離れようとはしない島民たちの気持ちも、なんとなくだけどわかるような気がします。
なんていったらいいのかしら。噴煙を見ているとこわい気もするのだけど、逃げたいという気持ちは起きません。山容を見ていると、ここで暮らしてみたいとおもっているのです。この感覚、なんなんでしょう。