なのはなテレビ

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海援隊のアルバムを聴きました

今回、聴いたのは海援隊の「倭人傳」。
いつのころのアルバムなのでしょうか。「贈る言葉」が収録されているので、1979年前後だとおもわれます。

どの曲もすてきだったのですが、なかでも「パパお花咲いてるね」を聴いて、涙してしまいました。

倭人傳 (紙ジャケット仕様)

倭人傳 (紙ジャケット仕様)

倭人傳

倭人傳

武田鉄矢さんのお嬢さんは、武田鉄矢さんがなのはなを見ているときに生まれたから「菜見子」さんと名付けられたとか?
わたしとしては、親近感が最大級にわきまくりなんですが。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

ところで、わたしたちは日本に流れ着いた倭人
海を越え、陸橋を渡り、この日本列島に住み着いた人々の子孫。
冒険心を秘めています。ふだんは隠しているし、本人も気づかないけど。DNAにはしっかりと刻まれているはず。漂泊とか流浪ということばにあこがれを抱くのはその証左。
土地に縛られるようになったのは、稲作をおぼえたから。
そして支配階級と被支配階級がうまれました。

ときどき理由もなく、どこかに行きたくなりませんか?
家に帰るためホームに並んでいるとき、反対側の電車に乗って見知らぬ街に行きたくなりませんか?
ターミナル駅にいると、サンライズ出雲などの長距離夜行列車を見かけることが多いのです。それに乗り込むことをおさえるのが必死です。ぼーっとしていたら、気がつかないうちに出雲行きの夜行列車に乗ってしまいそう。瑠璃も大きくなったことだし、向こうに着いてから呼び寄せればいいかも?なんて考えたりしています。
ほんと、乗りたくなっちゃうの。
家に帰る電車でなく、出雲とか島根とか、あとそうですね四国とか。
さすがに九州とか北海道は電車よりも飛行機がはじめの選択肢にのぼるので、ぼんやり頭のわたしには選択外なのですが。

我は倭国倭人なり〜

本を読むと、当時の倭人たちは、四方八方に交易を求めて冒険していたそうです。
そのバイタリティーは、わたしたちの想像の域をかるく超えています。
沖縄、台湾、フィリピンはもとより、シベリアやアラスカや、はるかアメリカ南大陸まで行っていたとかいないとか。倭人のパワーは凄かったみたい。

わたしの血にもすこしくらいは倭人の遺伝子が入っているとおもいたいです。